【テクニック編】「あたりまえを疑う」社会学的なものの見方

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前回の記事【概念編】では「あたりまえ」という言葉を切り口に、社会学的にものを見るとはどういうことなのか、そこにはどんな難しさがあるのかをご説明しました。

 

(まだご覧になっていない方は、先に【概念編】を読むことをオススメします。)

 

【概念編】にてお話したことを踏まえた上で、今回の記事【テクニック編】では、実際にどのような思考をすれば良いのか、社会学の方法論をベースにいくつかご紹介していきます。

 

すぐに活用できるものばかりですので、ぜひ、明日からでも実践してみましょう!

 

 

 

あたりまえを疑う

 

前回の記事【概念編】のおさらいのようになってしまいますが、やはり、最も注意しなければならないのが、この「あたりまえを疑う」です。

 

あなたが、なにか物事に直面して違和感を覚えることがあれば、それは、今までの経験や置かれた文化によって育まれた「(あなたにとっての)あたりまえ」があるからだ、ということを常に意識することが大切です。

 

あえて「自分にとってはあたりまえ」ということを意識することで、「じゃあ、他の人にとってはどうだろう」と考えることに繋がります。

 

反対に、「それはおかしい!」や「それは例外!」と一言で片付けてしまいたくなるようなことがあったとしても、今一度、「自分のあたりまえがあるから、違和感を覚えるんだ」と、ひとつ上の視点で対象と自身の関係を考えてみましょう。

 

わからないを演じる

 

自身に染み込んでいるあたりまえを取り払う試みとして「わからない」を演じることも有効です。

 

少しSFチックな話になってしまいますが、たとえば、あなたが地球ではない全く別の星に生きていたところ、ある日突然、地球にワープをして、今ここにいると考えます。つまり、あなたは宇宙人というわけです。もちろん、地球のことや、そこに社会という集まりがあることもなにも理解ができていません。

 

どうでしょう。今ここにある全てのものが新鮮に感じるかと思います。時に社会学者も方法論的にこのような「未視感(=デジャブの反対語)」を使うことがあります。

 

いつもの風景や見慣れた景色として、普段なら特になにも思うことなく見過ごすところを、あえて「なんだこれ?」、「なんでだ?」と立ち止まって、考えてみましょう。 

 

 視点を切り替える

 

あなたが物事を見る目の他に、あなたが見ている対象から見た視点(イーミック)、反対に、一歩引いて、あなたとあなたが見ている対象を天から見た視点(エティック)があります。

 

上記のような「内側の視点」や「外側の視点」を意識的に柔軟に切り替えながら、物事をある側面だけでなく、全体的に捉えようと意識してみましょう。

 

 

 

バイアスを意識する

 

あなたに入ってくる情報には、様々なバイアスがかかっていることを常に意識しましょう。

 

グループインタビューのようなことをして回答者から得た情報には、その回答者の脳を通した分析や解釈が含まれている可能性があります。きっと、そのような回答をヒントに、何か斬新なサービスをはじめたとしても、失敗してしまうでしょう。

 

本来であれば、インタビュアーが様々な回答者から事実や実態を聞き出して、それを分析したり解釈することで、新しいインサイト(仮説)を生み出す必要があるところを、回答者自身が無意識のうちに気を利かせて、独自の分析や解釈後の回答を述べることがあるのです。

 

上記は無意識ですが、もちろんその反対もあります。たとえば、ある会社の社長という立場で発言する場合、自身の会社を良く言ったり、立場上ある部分は言わなかったりすることがあります。

 

つまり、人の発言には、なんらかのバイアスがかかっていることを常に意識し、発言自体に注目するだけでなく、そのような発言をするに至った回答者自体にも注目をしてみましょう。

 

切り取らずに見る

 

物事を見るときに、その対象だけを切り取って見ることは、時に、誤った理解に繋がることがあります。その文脈や周囲との関係を含めて捉えようとする態度が大切です。

 

たとえば、ある少年に小学校で習うような問題をいくつか出題し、その少年が答えられなかったとします。この時、「こんな簡単な問題にも答えられないのか」と、少年を「無知」と判断することは、果たして正しいのでしょうか。

 

その後、少年はある問題については、母親に聞いて答えを得ました。また、ある問題については、辞書を引いて答えを得ました。別の問題についても、電卓を巧みに使いこなして答えを出しました。

 

この光景を目の当たりにしたら、きっと、「少年は無知だ」という判断がいかに表面的なものにすぎないか、少年のことを理解できていないかがわかるでしょう。

 

対象に溶け込む

 

物事を見る人と見られる人という関係から一歩踏み込んで、一緒に経験を共にすることで、対象への理解は一気に深まります。

 

ただし、溶け込むことができたように思えても「物事を見る人と見られる人」という関係であることは変わりないことに注意しましょう。

 

一見、溶け込んで、一緒になって何気ない会話をしていたとしても、「あなたがいるから」という理由で知らず知らずのうちに、いつもと言い方が違っていたり、いつもと異なる話題の会話をしている可能性があります。

 

「物事を見る側が対象に影響を与えていること、そして、その結果を見ていること」を意識することが大切です。

 

 

 

おわりに

 

2記事にわたって紐解いていった「あたりまえを疑う」社会学的なものの見方。なにか、使えそうなお話はありましたでしょうか。

 

冒頭では「ぜひ、明日からでも実践してみましょう!」と言ったものの、上記のような方法論に縛られて、意気込んで物事を見るのも、どこか逆効果な気がします。

 

著者としては、この2記事の全体を通して、社会学的にものを見るということは、どういうことなのか、その雰囲気を感じ取っていただけたら、まずはOKなのではないかと思っています。

 

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。