それって「本心」じゃなくて「認知的不協和」かも!?

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自分の思っていることと現実の間に矛盾が生じると、不快な感情を抱きます。人は、このような時、自分の考えを否定して上書きをするか、現実を否定することで、矛盾を解消しようとします。これを「認知的不協和(にんちてきふきょうわ)」と呼びます。

 

自身の「本心」に基づいて判断したり、行動を取っているつもりでも、実は、周囲の状況によって自身に生まれた「認知的不協和」に基づいてしまっている可能性があります。

 

認知的不協和を無くし、本心に基づいて思考できるようにすることが重要なのではなく、「今、自分が思っていることって本心かな?それとも、ただの認知的不協和かな?」と、一歩引いて考えることができるようになることが重要だと、筆者は考えています。

 

本記事では、一目惚れのワンシーンを例として取り上げ、「認知的不協和」とは何かを、かんたんにご紹介していきたいと思います。

 

 

 

たとえば、こんなシチュエーション

 

アルバイト帰りに、近くの土手で開催されている夏祭りにフラっと立ち寄っていくことにしました。屋台や花火などを見ながら人波を縫って進み、やがて、人気の少ない道に出ました。

 

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すると、好みのタイプの浴衣の女性が一人で線香花火をしていました。正直、かなり可愛いです。ただ、臆病な私は、特に声をかけることもせず、そのすぐ脇をササッと通り過ぎました。

 

ドキドキしています。久しぶりの感覚です。頭の中が、さっきの女性でいっぱいの中、再び、夏祭りをうろちょろと見学していました。

 

数十分、練り歩いた後、前から若い男女のペアがこっちに向かって歩いてきました。

 

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「・・・あれ、さっき、一人で線香花火をしていた女性だ!」と気付きます。また心臓がドキドキしてきましたが、それも束の間。若い男性と手をつないでいるようです。彼氏でしょうか。

 

あんなに好みのタイプの女性が、自分以外の男性と手を繋いでいる・・・。この時、私の中に「その女性を手にしたいが、現状、手にできていない。できそうにない。」という矛盾による不快感が生まれました。

 

その女性と自分が手を繋いだり、付き合ったりできれば、この矛盾による不快感を解消することができるのですが、部外者の私には、ほぼほぼ不可能でしょう。

 

このような状況に陥った時に、人は、①自分の考え方や感じ方を変える、もしくは、②新しい事実を否定する、のいずれかで不快感を解消しようとします。

 

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今回のシチュエーションの場合、あんなに好みのタイプだと思っていた女性に対して「いや、待てよ・・・。良く見たら、そんなにタイプじゃないぞ。」と自身の感じ方を変えたり、あるいは、手を繋いで夏祭りに来ている男女ペアに対して「彼氏じゃない可能性だってあるよな。」と新しい事実の方を否定し、不快感を解消しようとします。

 

この時、「よく見ると、そんなにタイプじゃないや」という気持ちは、おそらく「本心」ではなく「認知的不協和」といえるでしょう。

 

無意識のうちに思考している

 

注意しなければならないのが、上記のような例が、誰しも無意識のうちに思考されている、ということです。「認知的不協和」を知らなければ、そのことにも気づかず、認知的不協和によって改められた感情を「本心の移り変わり」として受け取ることでしょう。

 

冒頭にも述べましたが、このような不快な感情を解消するための思考をしないようにするのではなく、認知的不協和という理論があることを知り、それが起こりうるような状況における自身の考えは、「本心」以外の可能性もある、ということを知っておくことが大切だと思います。

 

まとめ

 

「認知的不協和」をかんたんに説明すると以下の通りです。

 

今までの信念や行動に反する「新しい事実」を目の当たりにすると、人は「不快な感情」を起こします。その感情を解消するために、①自分の信念や行動、あるいは、②新しい事実、のいずれかを否定します。これを「認知的不協和」と呼びます。

 

日常のあらゆるシチュエーションで思い当たる節があります。第一志望として受けた会社に自分は落ちて、友達はその会社に内定をもらっていたときに、「まあ、でも、あの会社は○○なところが良くないからな。」と否定したり。自分はものすごく残業をして働いているのに、友達は、自分より短い労働時間でよりも高い給料をもらっていることを知った時に、「でも、その分、自分の方が良い経験をしているはず。」と思ったり。

 

こういった思考に気付き、その上で、なにかを判断できるようにすることが大切だと、筆者は考えています。